安心は、ゴールじゃなかった。
ずっと「動けない自分」を責めてきた、いちばん底にあったもの。
先日、ある経営者の方の話を、横で聞いていました。
何千人もの社員がいて、声に張りがあって、年齢も若くて。
充実感が、こちらまで溢れてくるような人でした。
聞きながら、私はこう思ったんです。
私には、このエネルギーはないな〜と。
長いあいだ、人が怖くて、
「こんなこと言ったらどう思われるだろう」と身構えながら生きてきた私には、ああいう発散する力はありません。
でも、そのあとで、もうひとつ気づいたんです。
私がやっているエネルギーとはまったく別のものだ
私はずっと、「神経」の話をしてきました。
意識より先に、神経を緩める。
延髄、迷走神経、ガードを下げる など、
難しい言葉を、たくさん使ってきました。
でも、ある日ふと、立ち止まったんです。
それらのいちばん底にあるものは何だろう、と。
たどっていったら、答えは、とてもシンプルでした。
安心、だったんです。
じゃあ、なぜ私たちは、
こんなに安心を求めるんだろう。
これも、たどっていくと、シンプルでした。
脳は、生きるために働いているから。
脳がいちばん最初にしている仕事は、
考えることでも、幸せになることでもありません。
「今、ここは安全か、危険か」を、見分けること。
それを、意識が考えるより、ずっと先にやっている。
これは、ポリヴェーガル理論を提唱したステファン・ボージェス博士が
「ニューロセプション」と呼ばれる働きだと言われています。
私たちが「危ない」と思う前に、神経が先に危険を察知している。
気づいたときには、もう体が身構えている。
だから安心とは、ただの気分じゃないんです。
脳が「もう大丈夫。生き延びた。
固めなくていい」と判断したときの、
体の状態のこと。
安心は、「もう、身を守らなくていい」という、許可なんです。
そう考えると、固まっていることも、見え方が変わります。
体が固まっているのは、ダメだからでも、弱いからでもない。
あなたの脳が、ちゃんと生きるために、固めてきた。
過去のせいでも、あなたのせいでもなくて、
ただ、生き延びるための、正しい働きだったんです。
私自身が、そうでした。
人が怖くて、いつも身構えて、固まっていた。
それを長いあいだ、性格だから変わらない
と思っていました。
でも、違ったんです。あれは私の神経が、
私を守るための働きだったのです。
そう理解したとき、ああ、なんて私は頑張ってたんだろう、
と思ったんです。
私の知らないところで、私の体が、一生懸命、私を守ってくれていた。
なんて、愛しいんだろう、と。
そうしたら、自分の体に、ありがとう、と思えたんです。
そうすると、頭の中だけじゃなくて、体じゅうで -肩がほどけて、
お腹が温かくなって、呼吸が深くなる。
安心が、体全体に、巡っていったのです。
そして、セルフコンパッション(自慈心)が生まれて、
もう以前のように、自分を責めなくなったのです。
求めて手に入れるものじゃなくて、
邪魔が取れたら、勝手に巡るもの。
そして、ここからが、本当に話したいことです。
安心は、ゴールじゃありません。スタートなんです。
脳が「もう守らなくていい」と分かると、
それまで身を守ることに使っていた力が、
やっと、自由になる。
“生きのびる”ために使っていた力を、”生きる”ために、
使えるようになる。
だから、動けるようになるんです。
「動こう」と歯を食いしばるんじゃなくて、
安心が土台にできたら、思い描いたほうへ、体が、
自然に動き出し、
やりたかったことに、向かう。
頑張って学んで、ちゃんとやってきたのに、なぜか止まっていた人。
その止まりは、やる気のせいでも、能力のせいでもなかった。
ただ、安心の土台が、まだできていなかっただけ。
だから、先に安心。
動けるのは、そのあとから、勝手に。
最初に話した、あのエネルギー溢れる経営者の方。
私には、あの力はありません。
でも、私にもできることがあります。
疲れて固まった神経を、そっとゆるめる。
発散する力じゃなくて、ゆるめる力。
これは、声を張る人にはできないことなんです。
生きるために、ずっと頑張って固めてきた人に、
「もう、生きるために頑張らなくて、大丈夫」と、
神経を通して届けること。
そうして、安心を土台に、その人が、思い描くように生きはじめられたら。
最後に、「ああ、良かったな」と思える。
私がこの仕事をしている、いちばん奥の理由は、
たぶん、そこだと思います。
ここでは、「神経をゆるめる」ことについて、私の体験を、少しずつ書いています。
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